「あなたがいちばんたいせつです。おかあさんとおとうさんは、おなじおうちにいないけれど、おかあさんもおとうさんもあなたのことがだいすき。これまでもこれからもずっとずっと」

成人式

成人の記念

19歳までの私になかったものは、「理由」。
どうして自分がここにいるのか、なぜ今ここに生きているのかという「理由」。

出自を明かされていない子どもに出会うたびその苛立ちを思った。
母語を奪われた子どもに出会うたびその過酷さを思った。
二親のどちらか、またはその両方と離れて暮らす子どもに出会うたびその物足りなさを思った。

でも出自が告げられて自分がここに生きている理由がわかれば
母語で話すことを許されて母語で考え日本語で話す術を教えられれば
離れて暮らす親とも交信が許され気持ちが通じ合えば

だから自分は今ここに生きているんだと、「理由」がわかる。
遅くとも20歳になったら、「理由」は知りたい。

20歳になったら、ひとり親だった私の母は「いない」と言い続けていたもう一人の親に私を会わせた。
束の間会っただけでもう二度と会うことのなかった存在は、「いない」という形のパズルのピースのように、空いていた場所にしっくりと収まり、私がここにいてよいのだと安心させた。

子どもにとっての「親」は、生きている「理由」だ。

別居親を、子供が嫌う理由

僕は3年前に20年ぶりに父さんと会って話をしました

 

●別居親を、子供が嫌う理由

 

いきなり、引き離された、悲しい気持ち。

 

でも、それを消化する事が出来ない日々。

 

自分が原因じゃない、トラブルに巻き込まれて、苦しむ日々。

 

受け入れれない事を受け入れるには、嫌いになるのが一番早かった。

 

 

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どうして、別居親の事を、嫌いになるんだろう?

 

確かに、同居親に、言われたから、そう思う事もあるかもしれない。

 

でも、それでも、最終的には、自分が決める事。

 

どうして、別居親の事を、嫌いと思わないといけなかったんだろう。

 

それは、自分の中で、消化する為だったんだなって思います。

 

毎日、会えない事に苦しみ、悲しむ。

 

辛い日々を送る。

 

それも、自分では、どうしようも出来ない事に、もがき苦しむ。

 

毎日が辛い。

 

どうしたら、この苦しみから、解放されるんだ。

 

僕は、父さんと会いたい、でも、もう一生会う事は無いんだ。

 

もう、会えないんだ。

 

いつまでも、この気持ちを持っていたら、自分がつぶれてしまう。

 

どこかで、気持ちを切り替えないと。

 

そうだ。

 

父さんを、嫌いな理由を、探せばいい。

 

父さんを嫌いになれば、この自分ではどうしようもない状況から、苦しまなくて済む。

 

そうやって、父さんを嫌いな理由を集めました。

 

そして、嫌いと思いこむ事が出来ました。

 

すると、楽になったんですね。

 

この生活に、順応できるようになったんですね。

 

子供にとって、どうしようも出来ない状況。

 

それも、自分が原因じゃない状況。

 

まだ、自分が原因なら、反省や改善など、色々な事が思いつく。

 

でも、自分が原因じゃない中で、いきなりトラブルに巻き込まれる。

 

それも、自分では、手足も出ない状況。

 

これは、とても苦しかったです。

 

生きている事も、苦しかったです。

 

だって、無理やり、嫌いじゃない親を、嫌いに思わないと、自分の生活に順応できないくらい、混乱した日々を送ったわけですから。

 

でも、僕は、子供として、一生懸命生きました。

 

あの時、両親も苦しかったと思いますが、子供の僕はもっと苦しかったです。

 

両親には、離婚をする理由や、嫌いになる理由があるかもしれません。

 

浮気、暴力、暴言、性格の不一致など。

 

でも、子供には、親を嫌う理由が無いんですよね。

 

子供は、変化していく生活に順応する為に、自分なりに、必死で生きているんですね。

 

その一つとして、別居親を嫌いになる。

 

これは、ひとつの生活に順応する為の手段です。

 

子供が、別居親を、本当に嫌いになる事はありません。

 

会えなくて辛いのは、親だけじゃありません。

 

会えない日々の中で、必死で、日々の生活に順応する為に、子供達も頑張っています。

 

だから、もし、子供が、別居親を否定する言葉を言ったとしても、表面上の言葉だけで、判断する事はやめてください。

 

子供は、そんなにカンタンには、両親の事を嫌いになる事はありません。

 

ただ、自分自身が生きていく為に、苦渋の選択を迫られて選んだ。

 

それだけなんです。

 

会えない苦しみは、親子とも一緒です。

 

それでも、子供は一生懸命生きています。

 

今だけに焦点を当て続け、子供と会えない事を、憂い続けるのでは無く、自分の人生を生きてほしいと思います。

 

会える時は、必ず来る。

 

その時に、やつれ苦しんだ親を見るよりも、子供が、会った時に、やっぱり、私の親だな。

 

そう思えるような、親であってほしいです。

 

子供にとって、親はいつでも、自慢の親です。

お兄ちゃんだから

 

たくさんのものを背負わなくてはならなくて

 

きっと辛かったのだろうね。

 

もっと普通に生きられたのに…。

 

ぼくたちは応援しているよ。待っているよ。いつだって。

 

親子だから。兄弟だから。家族だから。